隣に誰かいて欲しいときと
居て欲しくない時を比べた時に
後者の方が多かったからこうした。
私を見るひとのうち何人かは「もったいない」とか
「何か理由となる欠陥があるに違いない」とか言ったり
言わないまでも、そうなんだろうな、という顔をしていたり、する。
本当は何を選んでも完璧ではないけど、
完璧により近く見えるのは、家族をつくってワイワイと暮らすことだというのは重々分かっていた。
多分人生の痛みをごまかしやすいのもそういう選択だったと思う。
多分一般的には一番ギリギリのタイミングでその「チャンス」があった私は
現実的にそれを進める途中でぐるぐると目を回して息苦しくなって
これが欲しかったわけじゃない、と気づいてしまった。
いや、くれると言われたときはちゃんと嬉しかった。
でもそれは、現実にそうすることそのものよりは、
相手に「そうする気がある」と知るだけで足りていた。
それなのに、どんどんとその事項から逆算したスケジュールを立ててしまったのは
わたしにもウェディングハイみたいなものがあったからなんだろう。
だけどそれは私も相手もなんだか追い詰めてしまって、
多分本来は人生でそんなこと考えたこともなかった彼が
何かを考えたのか考えてなかったのか、
隣にいてもそっけなすぎる私をつなぐためだったか、
単に雰囲気に流されたか、
とにかく一緒に暮らして、結婚するなんて言ってしまったがゆえに結果的に私たちは別れた。
今でも結婚なんて言い出さなければジジイババアになるまで仲の良い恋人同士だったかもしれなかった。
しわくちゃでお互いの歯も毛も完全に抜けてしまうまで。
だけど結局は自分で選んだから。
あの日、大事なことを決めなきゃいけなかったあの日、
彼がそんなこと忘れて一人旅に出て行ってしまった日、
そして私もその日が彼の旅立ちの日だったって忘れていたあの日。
私たちはお互いのことに全然責任を持つ気がなくって、それぞれ別々の人間だったとまざまざと気づいてしまった。
だから、それで。