ふわふわ

どようび。
自分が食べたいからとい理由だけで春巻きを揚げて
好きな時に好きなように運動して
好きなところに行ってすきな遊びをした。

 

にちようび。
おいっこに「傘をさしていけばいいよ!」押し切られて
だいきらいな日の下を歩いた。

どっちがどうじゃない、どっちも愛すべき日常。

げつようび。
ずっと気になっていた作家さんの器の取り扱いがあるというので
仕事はリモートにすると決めて、朝いちばんの来店。
値段も見ずに買ったので、レジでちょっとだけひるんで、
でも嬉しくなって、そのままカフェでPCを開いてこれを書いている。
なんと、なんと自由気ままに見えるだろう。

でもそのようなふわふわした生活をしている私にも
ふとした瞬間に足元がどろどろと不安に包まれて
うごけなくなるようなしにたくなるような瞬間などいくらでもある。

どっちがどうではない、愛すべき、日常。

ほらね

やっぱり月曜日だ。

 

静かな部屋で不安をかかえて
びいびい涙を流しながら働くのはいつでも。


やっていけるのかな
誰か愛して、助けてくれるのかなって。


自分ではどうしようもないような大きな不幸がやってきて
仕事なんかできなくなって
ただ生きているだけでえらいってそんな風になったらいいのにって
考えてはいけないことを考えてしまう。

 

良い春と、夢を。

あんなに美しい人はいない
だけどあの人は俺がいなくても生きていける
そう言ったという過去の恋人。
本当はすべての女がそうだというのに
そうではないと信じさせてあげられる女が本当に優しいということなのだろう

腕に、わたしの誕生花を彫った過去のもうひとりの恋人
この先何があっても、家族以外で、私の生まれた日を覚えていてくれる人がいる
それはとてもとても心強くて私を守ってくれる
それは”愛”だって、この世で最も古くて強い魔法だってダンブルドア先生が言ってたから。

わたしは誰かの心の中で光ってる過去
それはずっとそばに居ることと比べてどうとかっていうのではなくて
どちらもとても尊いことだと。


 

きえたい朝に

消えたいし働きたくないし通勤もしたくないと下を向きながら歩いていた朝
エレベーターのない駅の階段で、赤ちゃんを抱っこしたままベビーカーを運ぼうとする女性を手伝った

今朝のような日に、そうできた自分をよかったって思った半面、
私はあと何年、こういう手伝いを気兼ねなく受けてもらえるだろうか?とも思ったのだった。
つまりあと何年「手助けする側」でいられるだろう、と。
だから、自分がだれかに助けてもらう側になる日まで。


げつようび

沈む朝は、

ただ沈んでいるより無理にでも立って歩いて人がいる場所に行った方がいいこと

 

怒りは、

抑え込むよりも友人にただ聞いてもらう方が薄れていくこと

 

寂しさは、

例えずっとだれかと一緒でも消えることはないのでむやみに人を羨まないこと

 

怖いことは、

逃げて遠巻きに見るより近づいていくと案外小さくなっていくこと

 

それらすべてをよくわかっていても実行できない日があること

舞う

いつもの春がきた
友人たちとお気に入りの紅茶屋さんに行くついでに、公園でサンドイッチを食べながらちらほらと咲いた桜をながめた
公園にも、桜にも、凸凹とした思い出があった

あの子が夜中に自転車でやってくる
あわてて、部屋の中を漫画みたいにぐるりと一周して
最低限の身支度をした
あの日から何年経ったのだろうか

きみの背中越しの桜は多分一生
これからの先の人生の中でも一層きれいで
ずっとずっと、この季節に思い出す

それでもこの結果は変わらない、これで良かったそう言えるように

 

それでは、よい春を